谷口稜曄(長崎被爆 1929–2017) 谷口稜曄(たにぐち・すみてる)さんが、爆心地から2kmのところで熱線に焼かれたのは16歳の時でした。背中に 負った重度の火傷のため、1年9カ月の間うつぶせに臥せったままの闘病を余儀なくされました。あまりの苦しさに 何度も「殺してくれ!」と叫びました。ようやく立ち上がることができたときには、前身の胴体の肉は腐敗し、肋骨の 間には深い溝ができていました。 2010年5月7日、NPT再検討会議のNGOセッションで各国政府代表の前で 訴える谷口さん。日本被団協提供 核実験に抗議の座り込みをする谷口さん、1984年長崎。 撮影:黒崎晴生 2015年4月26日 ニューヨーク、NGO の集会に参加。 撮影:エリコ・プラット 私は奇跡的に生き延びることができましたが、『生きる』とは『苦しみに耐える』ことに他なりませんでした。 私たち被爆者は全身に原爆の呪うべき爪跡を抱えたまま、苦しみに耐えて生きています。核兵器は絶滅の兵器、 人間と共存できません。私は核兵器が、この世からなくなるのを見届けなければ、安心して死んでいけません。
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