実験被害 1996年に包括的核実験禁止条約(CTBT)が採択されるまで、アメリカ・ロシア・イギリス・イギリスフランス・中国などで 2000回を超える実験が行われました。インド、パキスタン、北朝鮮は、条約に署名せず、複数回実験を重ねました。 1962年以降の実験は、すべて地下実験場で行なわれました。それ以前の大気圏実験による放射線や放射性降下物は、 あらゆる生物に重大な影響をあたえ、環境破壊を引き起こしました。 1998年11/12月発行の原子力科学者会報によると、935回の実験がネバダで行なわれ、内828回は地下で 行なわれました。写真は地下実験で陥没した穴。写真:米エネルギー省提供 写真 上:旧ソ連セミパラチンスク実験場。撮影:森住卓 左:1962年まで行なわれていた大気圏核実験で、太平洋地域の住民は被害を受け続けました。 写真はビキニ環礁の核実験で被曝した少年。撮影:米軍 1950年代、大気圏実験で、風下となった周辺で被曝した 人々は「風下住民」と呼ばれるようになりました。ユタ州 セント・ジョージでは、多くの住民が死の灰にさらされ ました。この女性は、1959年に息子を白血病で、1983年 には夫をがんで失い、残る4人の子どものうち2人も 脳腫瘍に冒されました。撮影:豊崎博光
RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz