NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM

被爆者、欧州で訴える 1980年代、アメリカとソ連が中距離ミサイルをヨーロッパに配備しようとして核戦争の危機が高まり、ヨーロッパで反対運動が盛り上がりました。 イギリス、ドイツ、フランス、オランダなどで30万人から50万人の集会がたびたび開かれました。集会への参加要請を受けて、たくさんの被爆者が ヨーロッパに向かいました。 82年8月には遊説団が東・西ドイツ(当時)、イタリア、オランダ、フランスを歴訪、そのうち4人の代表がバチカンを訪れ、ローマ教皇 ヨハネ・パウロ2世に謁見し、核兵器廃絶への尽力を要請しました。 1982年8月25日、ローマ教皇ヨハネ・パウロⅡ世に核兵器廃絶を要請。日本被団協提供 フランス遊説。肥田舜太郎医師、モンプリエ市技術専門学校で講演、1983年10月。日本被団協提供 ドイツのボンで開かれた50万人の集会で連帯のスピーチをする小西悟さん、 1983年10月20日。日本被団協提供 ヨーロッパ遊説団、ドイツ・ブーヘンワルト強制収容所解放記念塔の前で、1982年8月。日本被団協提供

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