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亡くなった人たち 広島の爆心地から東800m、市の目抜き通りにあった福屋百貨店の横は、急ごしらえの焼却場に変わり、つぎつぎと 兵士や市民の死体が担架で運ばれ、焼かれていった。8月12日 撮影:宮武甫 朝日新聞社提供 被爆から7年たった1952年7月、 原爆犠牲者の遺骨が次々に 発見された。写真は坂町の遺骨。 野ざらしのもの60体、埋葬され ていたもの156体。被爆当時、 軍の臨時救護所があり、収容 された被爆者が、次々に命を 失った。中国新聞提供 14歳の長男を5日間探したが、見つからず、港で死体を船に積んでいると聞き、そこで見つけた。 中学校までやっと運んで、そこで荼毘に付す。5日間、冷たいコンクリートの上に寝かされ、水一滴やる人もなく 死んでいったと思えば、胸ははりさけそうにくやしい。自分の産んだ子を、母のその手で荼毘に付すとは なんとむごいことか。— 広島被爆者

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