NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM

サダコさんは2歳の時、爆心地から1.6キロの地点で被爆しましたが奇跡的に無傷で助かりました。運動能力抜群で、 リレーの時も男の子をスイッと抜いていたずらっぼく笑うサダコさんは学校でも人気者でした。 被爆から10年経った、小学校卒業を目前にして被爆による白血病と診断され、緊急入院しました。「紙の鶴を1000羽折ると 病気が治る」という伝説を信じ、鶴を折り続けましたが、サダコさんの願いは天に届きませんでした。発病から半年後に 亡くなり、少女の人生は12年で終わってしまいました。 クラスメイトたちは、彼女の死が無駄にならないことを願って、募金運動に立ち上がりました。日本中の子どもたちの協力で、 広島平和記念公園に「原爆の子の像」がつくられました。今は国の内外から訪れる人々によって「平和を願う折り鶴」が たくさん献納されています。 佐々木禎子(広島被爆 1943–1955) 入院した病院のまえで。佐々木雅弘氏提供 広島平和記念公園に飾られている折り鶴。写真:Masao Taira/iStock 原爆の子の像。広島平和記念資料館提供

RkJQdWJsaXNoZXIy NDU4ODgz