NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM

山口仙二(長崎被爆 1930–2013) 山口仙二(やまぐち・せんじ)さんは、14歳の時、長崎の爆心地から1.2kmの地点で被爆し、熱線に上半身を激しく焼かれ、 40日間意識不明で生死の境をさまよった後、かろうじて死をまぬがれました。 山口さんは被爆の急性症状から回復したあとも肝臓疾患、皮膚がん、肺気腫、喘息など様々な病魔に悩まされ、また身体に 残るケロイド痕のため職業を転々として苦労を重ねました。 山口さんは深く傷ついた身体にむち打って、核兵器も戦争もない世界の実現を訴え続けました。1982年のSSDIIで、 日本のNGO要請団を代表して「ノーモア ヒバクシャ」を訴えました。 被爆者の訴えを渡す。1990年5月東京。撮影:森下一徹 被爆直後の仙二さん。映画「失われた世代」より。 ©平和博物館を創る会 ケロイドにかみそりをあてる。撮影:村里榮

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