NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM

前座良明(広島被爆 1921-2009) 24歳の時、広島で被爆。その年(1945年)の10月に長野県 松本に移住し、長野県原水爆災者の会の結成に参加、副会長、 会長を歴任しました。61年松本で始めた食堂に「ピカドン」と 命名。2009年、88歳で死去。 作の詩の一節… 座右の銘… 晩年の言葉… 病院で腸癌の術後の診察を受ける、1990年頃。前座明司氏提供 「ピカドン」食堂の前で、2009年10月。前座明司氏提供 長野市の市民に語る前座さん。2009年10月11日。前座明司氏提供 俺はたたかうぞ いつまでも たたかいぬくぞ いつまでも 息子たちや孫たちに 美しい未来と しあわせな生涯が きり開かれることをねがって たたかいがにんげんをつくる 平和は祈るだけでは実現しない 私はこわいものはない。もう棺桶の中に入って立っているが、 しゃがめない。私は死ぬまでさわぎつづける。手足がきかなく なったら口だけででも跳ねつづける。いよいよ死ねなくなった。 やりたいこと、やらなければならないことがつぎからつぎに 出てきて、死ぬ余裕がない。若い人たちを戦争に巻き込みたく ない、そのためのさいごの砦でなくちゃと思っている。

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