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笹森恵子(広島被爆 1932–) 13歳の女学校1年生で、学徒動員として建物疎開の後片付け中に、爆心地から約1.5キロの所で被爆した笹森恵子(ささもり・ しげこ)さんは、顔から上半身にかけて、ひどいやけどを負いました。 カリフォルニア、マリナデルレイの自宅、ノーマン・カズンズ夫妻の絵の前で。撮影:福田恵子 ニューヨーク市の高校で証言する恵子さん。 2015年4月30日。共同通信提供 ニューヨークに到着した恵子さん、同行した谷本清牧師とともに。1955年5月9日。 ゲッティイメージズ(GettyImages)提供 十代の終わりを迎えたころ、恵子さんは教会で 谷本牧師に出会い、被爆した若い女性のグループ の集まりに参加しました。 東京で何度も手術を受け、23歳になったとき、 原爆孤児に寄付金を送る「精神養子」運動を 立ち上げたジャーナリストのノーマン・カズンズ氏 に出会い、他のメンバーとともにアメリカに渡り、 手術を受けました。その後、カズンズ氏の養女と なり、看護師となって病院に勤務しました。 恵子さんは退職後も、被爆体験や平和について 語り続けています。

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