NO MORE HIROSHIMA & NAGASAKI MUSEUM

渡辺千恵子(長崎被爆 1928–1993) 渡辺千恵子(わたなべ・ちえこ)さんは、16歳の夏、 学徒報国隊として動員され、三菱電機製作所で 働いているとき、原爆にあいました。鉄骨のハリの 下敷きになって下半身の自由を奪われ、自暴自棄に なりそうになったとき、いつも励まし勇気づけて くれたのは、同じ被爆者であったお母さんでした。̶ 1956年、第二回原水爆禁止世界大会での 渡辺千恵子さんの訴えから 原水禁世界大会に参加する千恵子さん、1975年、夏。撮影:福島菊次郎 共同通信提供 「長崎を最後の被爆地に」と、 繁華街で訴える千恵子さん、 1984年。撮影:黒崎晴生 原爆犠牲者はもうわたしたちだけでたくさんです。 世界のみなさま、原水爆を、どうかみんなの力で やめさせてください。そして私たちが、『生きていて よかった』といえる日が、一日もはやく実現でき ますようお願いいたします。

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